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南米紀行


私のプロフイル


 

インタ−ネットで南米を訪問しませんか。

ご意見、ご感想をお待ちしております。こちらへどうぞ

私は星野和生、1928年生まれです。現役の時代には農林水産省の 野菜・茶業試験場(ホームページはここをクリック)に勤務いたしておりました。

なお、野菜・茶業試験場は平成13年4月1日より、独立行政法人・農業技術研究機構、野菜茶業研究所と名称が変わりました


現役時代に南米勤務をいたしましたが、その時の写真をお見せしながら、 現地の状況をご報告いたしたいと思います。

戦後日本から南米へ移住された 方達は現地で立派に成功され、日本語のホ−ムペ−ジを構築し、現地の情報を活発に発信しております。

 

南米パラグアイ国のイグアス地域のホ−ムペ−ジアドレスをお知らせしますが、南米をインタ−ネット で訪問してみませんか。

南米パラグアイ国イグアス地域の日系ホームページはここをクリック


南米には多くの日本人が移住しておりますが、特に戦後昭和30年代には、南米のブラジル、アルゼンチン、 ボリビアなどに挟まれた海の無い内陸国のパラグアイには多数の日本人が移住入植し、南米の原野、ジャングルを切り開いて、家を建て、 農場を開拓し立派に成功し、多くの大農場経営者が定住いたしております。私はブラジルと国境を接したイグアス地域にある 国際協力事業団パラグアイ農業総合試験場に4年間、チリ国の首都サンチャゴ にある チリ国立農業研究所に2年間勤務いたしました。 南米各地を調査旅行しましたが、私にとっては、とても印象的だった場所の写真をご紹介いたします。
なお写真は約700枚で、とても多いので、全部見るには、スクロールにスクロールを重ねて行かなければならず、煩雑ですので、見たい写真の目次をクリックすれば、その位置にジャンプします。 また写真の下に(先頭のページはここをクリック)と書いてある文字をクリックすると、このぺージに戻ります。

目次

                                   
成田空港までお見送り有り難うございました
南米マチュピチインカの遺跡、イースター島のモアイ、ナスカの地上絵
パラグアイ国の寸描・先住民族グアラニーインデオ
国際協力事業団(JICA)パラグアイ農業総合試験場
イタイプのダム、パラグアイとブラジルとの巨大プロジェクト
活躍する青年海外協力隊員、試験場のご婦人方、ラパチョの喬木、日系社会の仲の良いこと、日曜日にイグアスの滝ドライブ
JICAパラグアイ農業総合試験場創立25周年記念祭
栄田場長を送る。有り難うございました。
肉牛品評会、遊佐課長を送る。トリニーダ遺跡、AMAMBMY地域視察指導、大沢博士来場視察
新任専門家をイグアスの滝に案内、セマーナサンタの休日エンカルナシオンヘ、AGRIEX巨大企業農場、国際協力事業団柳谷総裁来場記念植樹、日系人の盆踊り大会限りなき郷愁、雨降り花
アルゼンチン紀行、ブエノスアイレス、カラハテ、アルゼンチナ湖氷河、午後10時まで太陽は輝く、ブラジルサンパウロ大学生田教授来場、アレグラ、ウパカライ湖
グランチャコ大冒険、パラグアイの北部ボリビアと国境を接する純系ドイツ人の一大入植地を訪れる。パラグアイ、グランチャコで第九を聞く、亜熱帯原野の放牧牛、1990年8月、一時帰国の際大阪での花の万国博覧会を観る
アスンシオン、イグアス移住地寸描、1990年年末から1991年年始の休日にチリ入国サンチャゴ、ビーニャデルマル、パルパライソなど観る。アルゼンチン入国バリロツチエなど観る
アルゼンチン、バリロッチエ、トレボル湖水群、サンパウロ大学、生田教授、ボツカツ農科大学、黒沢副学長来場、アスンシオン近郊野菜農家市場、ブラスガライチーム青年協力隊指導農場完成記念植樹
ブルクジャの花と果実、現地の夫人にゆかたの裁縫技術移転、薪が燃料のアスンシオン〜ブエノスアイレス間国際列車、カウンターパート沖中氏、Antonio,Catalino有り難う、ゴルフのまねごと、全パラグアイ農業指導員に対する講演会、沖中カウンターパート遂に優良トマトを作出
チリ、サンチヤゴに着任、2年間を過ごす。 4,300kmの細長い国土、人口520万人の大都市首都サンチャゴ、高層マンション群、植物遺伝資源半永久貯蔵バンク、サンタルシアの丘、モネダ宮殿大統領府、La Platina農業試験場、Vina del MarとValpariso,サンクリストバル丘など,中米コスタ・リカ国の遺伝資源、収集、保存、増殖などのシステム視察
フラコ泥温泉、菊池、山根、小田専門家をビーニャデマル海岸、マポチョ(魚介類、果物野菜の市場)案内、飯塚専門家をロスドミニコスのフェリア、マポチョ、イースタ島モアイ見学案内、日本からのプロジェクト評価ミッシヨン対応、遺伝資源プロジェクト開催式(イナグラシオン)チリ国エルウイン大統領、農林大臣など出席盛大、標高4,000m近くのアンデス高原へ遺伝資源の探索、トマト野生種発見
在留邦人夫人のコピウエ会、編み物会、常陸宮殿下プラチナ試験場内を視察見学、大使館レセプション、田部井専門家をマポチョ、ビーニャデルマル案内、チリ南部視察見学、富士山そっくりのオソルノ火山、チリ最南端の町プンタアレーナスを見る、マゼランの銅像前で写真を撮る、大航海の時代を彷彿とさせる、夢にまで見たマゼラン海峡を2時間かけて対岸アルゼンチンとチリの島、フイゴ島に渡る。帰国時メキシコ小旅行。
                                                                                                                                                                                              



南米ペル−マチュピチュ、インカの遺跡
南米ペル−マチュピチュ、インカの遺跡、空中都市、遺跡は三面は川に囲まれた断崖絶壁の頂上にあって、神殿、宮殿、祭壇、浴場、1、000余りの階段、段々畑、精巧な石積建築の要塞都市、千古の謎を秘めたインカの秘都、

1911年アメリカ、エール大学ハイラム、ビンガム教授はマチュピチュを目的にここに来たのでなく、 ペルー独立戦争の指導者シモン、ボリーバル将軍の足跡を辿っていた。たまたまこの地に来た時、先住民からこの山の上に遺跡が有ると聞き、つる草や灌木の生い茂る崖をよじ登ってこの大遺跡を発見したといわれています。

チリ−北部アンデス山系
南米チリ−アンデス山系ボリビアとの国境近く、富士山の頂上と同じくらいの高さ,標高3.500m〜4.000mの地帯にアルパカ、リャマなどが放牧されています。

イグアスの滝、ブラジル側からの写真

イグアスの滝、アルゼンチン側からの写真












南米のブラジル、アルゼンチン、パラグアイの三国の国境に接した世界一の巨大瀑布、すざましい迫力です。近ずくとズシンと地鳴りが聞こえます。
私の勤務していたいたパラグアイの試験場から、わずか50kmの場所にあり、 休日には、車で国境を越え、見学いたしました。

イースター島のモアイ

南太平洋の孤島、チリ海岸から3、760km離れ、日本の大島より少し大きい島、島には時代も、 目的もわからない500体のモアイ(巨大石像)があります。7mから20mの上半身をいたるとことで雨ざらしにしています。なぜ、誰が、 何の目的で、どうしてこの遠い、遠い南太平洋の孤島でこの巨石群をを切り出し、運び、建築したのか、世界の一大不可思議の一つです。

ペルー、Icaのリゾートホテルにて
ペルーの有名なナスカの地上絵をみるために宿泊したリゾートホテルの庭に咲いていたマメ科樹木

ナスカの地上絵を5人乗りの小型飛行機で見る。
プロペラを手で回してエンジンをかける飛行機、エンジンの調子は悪く、何時墜落するかと怯えつつ撮影

飛行機の窓から撮影した地上絵(クモかトカゲ)

巨大な地上絵の描かれている南米でも特に有名な謎の文化遺跡、この地上絵は航空機が発達した最近になって偶然に発見されました。乾燥した砂漠の大平原に、誰が、何の目的で、いつの時代に描いたものか、すべてが謎です。 幅20〜50cmの実に正確な直線が果てしなく、数十km続いたり、1平方kmの巨大な台形、三角形、翼の長さが120mの鳥、70mのワニ、50mの魚、46mのクモ、猿、オウム、蜂鳥、渦巻、人形などが大平原一杯いたるところに描かれています。こうした直線、幾何学模様、動物図などはいづれも巨大なものであり、 地上でそのものの上を歩いても絶対に分からないし、気もつきません。なぜそのような古代の人が地上では分からない絵を描いたものか、それはいまだに謎に包まれています。宇宙人のしわざではないか?そしてナスカ平原が空飛ぶ円盤の着陸場になっていたのではないか?その頃誰が空を飛べたのか? など、さまざまな推理や憶測をまじえて、現代のミステリーとなっています。私が辛うじて飛行機の窓からキャッチした写真はクモかトカゲではないかと思われます。

ペルーのクスコ、サクサイワマン
                                                                                                                                            
インカ帝国時代の軍事上の拠点として1日3万人、約80年かかって築かれたといわれる広大な石垣城塞。 3段に分けられたこの石垣の中には、見上げるような巨岩が幾つもあり、石と石の間は驚くほどぴったりくっついている。正面の大広場で毎年6月にインカ帝国華やかなりし頃を再現して太陽神の式典が 色彩ゆたかに繰り広げられ、世界各国から多数の観光客が訪れるといわれております。
                                                                                                           
ペルーマチュピチ、野生のグラジオラスを背景に

マチュピチュの遺跡には巨大なグラジオラスが至る所に群生しています。

ペルーの首都リマ大統領府を背景に



南米ペルーの旅の終わり




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パラグアイ国の寸描

パラグアイ国地図

パラグアイ(グアラニー語で「大河のある大地」)の意味は先住民グアラニーの大地です。公用語はスペイン語ですが、学校ではスペイン語とグアラニー語を教え日常語としてグアラニー語も用いられております。 伝導所や布教村でも知られ、植民地時代に布教政治の拠点であったところで、グアラニー文化とヨーロッパ文化が融合したグアラニー、エスパニョールと呼ばれる独特の文化を有する国でもあります。 鮮やかな色彩の刺繍が施された繊細なレース編みの民族衣装「ニャンドウテイ:グアラニー語では「クモの巣の意味」も有名です。舞踊ポルカは国民的な音楽で、パラグアイ、ハープ「アルパ.パラグアジャ」 は伝統的な楽器として広く知られております。
パラグアイは南米大陸のほぼ中央にあり、南緯25度の南回帰線が走っており北回帰線が走っている北緯25度の台湾と正反対に位置し、ブラジル、アルゼンチン、ボリビアの3国に囲まれた内陸国で、 面積は日本よりやや広く(41万km2)国の中央部を、アンデス山脈とブラジル高原を水源に持つパラグアイ川が貫通しています。 この豊かな水量は水上交通に適し、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスから2、000トン級の船がパラグアイの首都アスンシオンまで延々1、600kmを遡ってきており、 、重要な交通路になっています。その他ラプラタ川上流のパラナ川の支流に前ページでお見せしたイグアスの滝があります。またこの豊かな水量はエジプトのナイル川を堰き止めて作られた アスワンハイダムより大きなイタイプのダムが作られ、ブラジルへ大容量の電力を供給しております。
パラグアイ国の地勢はパラグアイ川により東部と西部(チャコ地方、、、、この奥地には純系のドイツ人が多く住み、 一大コロニーを形成しています。)全国の30%を占める東部パラグアイは丘陵地帯と平原が波状形に交錯する変化に富む地形を示し、土壌が豊かで農業に適しています。西部パラグアイは地形の変化に乏しい緩やかな傾斜を もった大平原は放牧に適しております。
パラグアイの人口は約400万人、国民の約97%が征服者であるスペイン人とインデオのグアラニー族との混血で占められており、なお奥地には土着のインデオが数万人(約1.5%)が昔ながらの生活を営んでいると言われております。
1537年頃にスペイン人が入植を開始し、植民地としてのパラグアイがスタートし、その後約250年間植民地として盛んに混血が繰り返され、征服者たちは97%に及ぶ新しい民族を形成してしまった訳です。恐るべき征服者たち、コンキスタドールよ!!(スペイン語の征服者の意味です)。

とても印象的なことを経験しました。ある雨の夕方、廃屋に等しい貧農の家から(両親は80%インデオの血を引いたパラグアイ人です)金髪で真っ白な顔、皮膚をしたとても可愛い14、5歳の白人そっくりの美少女が出てきて裸足で雨に濡れて歩いているのに見て、驚かされました。典型的な隔世遺伝(祖先のある形質が1ないし数世代とびこして、あるいは長い世代の後、その子孫にふたたび現れること)の子供でした。

先住民族グアラニーインデオの末裔と
パラグアイの首都アスンシオンの港に近い中州に先住民族グアラニーインデオの保護居住地がありますが、その生活水準は極めて低く、惨憺たる生活を強いられております。こどもです。 スペインその他ヨーロッパから征服、移住してきて、白人同士の純血を保っている人々が政財界の主要な位置を占め、独占的に富を掌握しています。
例えば農地の所有形態をみても、約15%地主が全農地の80%以上を所有し、残りの85%の農民が約20%の農地 を耕作している、と言った状態で土地無し農民が非常に多く、彼らが土地所有者に無断集団で、どんどん侵入し、耕作し大きな政治社会問題になっておりました。先住インデオは元々狩猟民族でしたので農地を持って生活している者は殆ど無いと言われております。

観光客の求めに応じ、被写体になるインデオたち
乳房をみせたり、戦士の礼服を着て被写体となって安いモデル料を要求し(当時の金額で100ガラニー、当時の日本円に換算して 30円くらい)生活の足しにしていました。




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チッパ(トウモロコシ粉と小麦粉を焼いたパン、
お焼き状のもの)の売り子たち

長距離バスが首都アスンシオンに近ずくと籠に布を被せたチッパを持った売り子たちが停留所にバスが止まると嬌声を上げて乗り込んできますそして次のバス停留所であわてておりて行きます。にぎやかなこと。
ニャンドテイ(レース刺繍編み)の織り姫
とアスンシオン郊外高級住宅で会った美女

鮮やかな色彩の刺繍がほどこされた繊細なレース編みの民族衣装(ニャンドテイ:グアラニー語では「クモの巣の意味」)は有名です。




国際協力事業団(JICA)パラグアイ農業総合試験場

私が4年間勤務したところです

試験場の正門
事務所と研究室の一部
宿舎周辺
宿舎周辺
宿舎内部(応接室)
巨大な牛肉の肉塊
パラグアイは日本の面積よりやや大きな国土で、人口は約400万人、牛の頭数は約800万頭です。人間1人に肉牛2頭にあたり、美味しくてとても安い肉が食べられます。連日の肉食にいささか辟易しながら、今日も肉塊と悪戦苦闘です。
トマト試験農場
パラグアイ移住地域では日本で作られる作物はすべてとても良い生育をし、立派に生産できます。野菜類もすべて栽培出来ますが、トマトに斑点細菌病という激烈な病気が発生し一晩にして十万本ものトマト全滅してしまうようなことがあります。 この病気に耐病性のある品種を育種することが私の仕事の大きな責任でした。後編(南米9)に遂に耐病性の強い優良品種を作出した経緯が報告されております。

トマト試験農場
研究室で試験成績取りまとめ中の私
携行器財のパソコンは日本の100ボルト仕様しかありませんでしたので、200ボルトを100ボルトに下げる変圧器を携行しました。

イタイプのダム

イタイプのダムはパラグアイとブラジルに国境を接して建設された巨大プロジェクトです。この豊かな水量は、エジプトのナイル川を堰き止めてつくられたアスワンハイダムより大きなイタイプのダムが建設され ブラジルへ全発電容量の80%の大容量の電力を供給しています。パラグアイ側で使用する容量は20%と言われております

イタイプのダム
イタイプ博物館巨大な牛車の車輪
ダム建設に用いられた。
パラグアイ、アルゼンチン、ブラジル三国国境
イグアスの滝を背景に


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トリニーダ遺跡布教村跡

植民地時代に布教活動の拠点の一つであったところのトリニーダ遺跡、 (reduccion:布教村)日本の援助によって復旧作業が行われていました。
アルゼンチンとの国境の町エンカルナシオンにて
アルゼンチンとの国境を結ぶ大橋が完成した直後の写真、同行者は伊藤農協専門家
イグアス移住地診療所医師送別会
カルネ・アサーダ(牛肉の直火焼き)でビールを飲み盛大に送る。
送別会に呼んだアルパ(パラグアイのハープ)奏者
送別会に呼んだアルパ奏者と、"El condor pasa"(コンドルは飛んで行く) の演奏は忘れられません。
開墾(焼き畑)1年目の作物の成育状況
大木を伐採し、焼いて作物を播き、植えます。
宿舎周辺での昆虫採集
ジャングルに近い宿舎周辺には夏になると珍しい昆虫が無数に飛来して来ます。
巨大なクワガタやカブトムシ似た甲虫類でとても明るい光を発するホタルの類
マジックインクより大きいホタル
パラグアイ農業総合試験場の創立25周年記念祭写真集
記念祭門の前景

試験結果の展示
園田職員によるトマトの仕立て法の説明
会場の雰囲気

農牧省局長を招いだ祝賀講演、スペイン語による栄田場長の講演

カルネ・アサーダ(牛肉の直火焼き)
あらゆる記念祭、祝賀祭などには必ずカルネ・アサーダ(牛肉の直火焼き)とビールが出されます。
  開発青年・職員の奥様の演奏するアルパを聞きながらビールを飲む。

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1988年3月1日〜3月13日までアルゼンチンのブエノスアイレス、カミニート、ラプラタ、ブラジルのサンパウロのサンバなど各地を見てきましたが、 カメラに不具合が生じ、写真は撮れませんでした。残念!!!!!!!
パラグアイ、ブラジル、アルゼンチンの国境三角地帯アルゼンチン側礎石など
勇んでアルゼンチンへ出発、飛行機から撮ったイグアスの滝

イグアス移住地の野菜農家と共にブエノスアイレスの野菜市場見学
偶然にもブエノスアイレスの野菜市場にてイグアス地域の野菜栽培農家 と一緒になり、記念写真を撮る。


アルゼンチン、ブラジルでの写真はここで終わり。



パラグアイイグアス移住地に帰国、


2kmくらい離れたジャングルの中の水源地へ昆虫採集に

スーパーでの買い物
移住地から50kmくらい離れたEste市のスーパーへ毎週水曜日の午後、土曜日午後、 日曜に買い物に出かけました。

Cama de dormitor
栄田剛場長の送別会にてお話会い
1988年4月15日付けにて栄田剛ば長ご夫妻栄転ご帰国
栄田場長ご夫妻には公私ともたいへんお世話になりました。私が着任するに際し、 アスンシオンまでお迎えに来て下さり、着任後もスライドを用いてイグアス移住地の詳しい ご説明をして下さったり、はじめての外国生活について詳しくご説明下さったりして専門家が 生活し易いように気を使って下さり、さらに仕事についても専門家が最もし易いようにと、 日毎心がけて下さり、 ご配慮を頂き、大変楽しく仕事をすることができました。本当に有り難うございました。名場長だったと心から尊敬し 感謝いたしております。私の人生の晩年期にこのような方に巡り会えたことを心から感謝いたしております。


イグアス移住地東部イタイプダム建設による水没地帯
イタイプのダム建設のため 、広大な面積の農地、低湿地帯が水没しました。カウンターパートの沖中氏と開発青年の一色君とともに水没状況を視察しましたが 凄惨な感じがしました。
新開墾地
最近は昭和30年代の入植当初の様な人力によって、木を切り倒し、焼き払って開墾する 事は少なくなり、大型のブルトーザで開墾することが多くなりました。
広大な農場と水没地帯

アスンシオン近郊アスンセーナ農協渡辺氏夫妻の家で
偶然にも私の出生地山梨県富士吉田市 出身で、アスンセーナ農業共同組合員の渡辺氏夫妻のトマト農場を視察、ビールを頂きながら、 故郷の話でしばしを過ごす。トマト農家 として立派に成功されていました。
青年海外協力隊への現地指導

日系人は全くいない、サンフアンという遥かな 僻地でただ一人で現地人に野菜の栽培指導をしている青年協力隊員松田恵子隊員、スペイン語の通ずる農家はただ一軒のみ、グアラニー 語で指導していました。頑張っていること、感銘を受けました。
協力隊員たちと
オビエド協力隊員野形隊員、カウンターパト沖中氏、私、一色開発青年、サンフアンの 松田恵子隊員、現地普及所職員との記念写真

農耕運搬の主役の役牛
サンフアンのような僻地では現在でも農耕運搬の主役は役牛です。
巨大な牛と牛車

サンフアン農牧改良普及所
2.3人の普及員が常駐指導しているとのことでした。
パラグアイ人の墓地(サンフアンの僻地)

青年協力隊員と農業総合試験場職員との語らいのひととき
多くの農業関係青年海外協力隊員が相談に 来ました。できるだけ協力指導しました。

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日曜日にイグアスの滝までドライブ

日曜日にイグアスの滝までドライブ

農業試験場職員・専門家のご夫人方の懇親会








国樹ラパチョの喬木

ラパチョはパラグアイの代表的な木の一つです。とても高く伸び、春には綺麗な花が喬木の 先端に沢山咲きます。

入植時に切り倒したラパチョの木
入植時の記念として残してイグアス 移住地の中央の日本人会館に保存して有ります。鉄のように硬い木でした。

移住地の運動会
移住地の農家はとても仲良しで運動会、ゲートボール大会、演芸会などをしばしば行います。

競技は続く

戦前に入植したラ・コルメラ移住地タマネギその他

宿舎近辺の放牧場にて

トマト雨除け栽培
トマトの斑点細菌病克服が私に与えられた最大の課題でした。ビニールハウスを建て、 雨がかからないようにして栽培して 、収支計算を厳密に行いながら試験を行いました。良品質のトマトが高く販売できて、試験は成功いたしました。

新開墾地とその近くでのトマトの育苗

宿舎周辺の放牧地でゴルフの練習


宿舎周辺の花木(夾竹桃とジュビアデオロ)
黄金の雨、ロマンチックな名前 !
私の導入した農業気象総合観測装置
パラグアイ農業総合試験場の気象観測装置は極めて不備なものであり、正しい観測をすることができませんでした。 そこで私は野菜・茶業試験場で導入した経験のあるコンピュータ制御による、農業総合気象観測装置をパラグアイ農業総合試験場へ導入し、正しい観測値が得られるようにしました。 観測項目としては、24時間連続の気温、地温、湿度、日照時間、日射量、光合成有効日射量、蒸発量、降水量、風向、風速などなどの作物の生育に及ぼすと考えられるあらゆる項目をセンサー でコンピュータへ自動的に取り込める装置を導入しました。私の残した大きな仕事の一部であったと自負しております。


  El dorada(ドラダ)南米河川に住む魚と玄関入り口のサボテン
川に住んでいる魚ですが、日系 移住者の中には刺身にして食べる豪傑もいるそうです。

宿舎の庭に播種したパパイヤの木
播種後1年足らずでこのように大きくなりました。1988年2月14日撮影

パパイヤの収穫、大豊作
播種後1年半くらいでパパイヤがこのように沢山収穫できました。いかに適地であるかが想像できます。1988年12月21日収穫

パパイヤ播種後3年目
89年3月19日撮影。すごい !!

  

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