勝手にコラム


スゴイ人特集2〜ジョン・レノン(1940−1980)〜


マニアック度★★☆☆☆

12月8日といえば何の日か・・・?  まず、年配の人なら真珠湾攻撃の日を思い浮かべるであろうが、私はジョン・レノンの命日を思い出す。没後、20年たった今でもTVCMなどでジョンの映像や楽曲が使われるなど、全く故人とは思えない。 もし、ジョンが生きていれば60歳、還暦である。20世紀最大のロックバンド、ビートルズのリーダー的存在であったジョン・レノンとは、いったいどんな人物だったのであろう?21世紀を目前に向かえた、今日12月8日。命日であるこの日にジョン・レノンについて書く事にした。

ジョンとの出会い

ジョンレノンを知ったのは20年前で、私は当時中学3年生だった。「元ビートルズのメンバー、ジョン・レノンがファンの凶弾に倒れ死亡した。」と、ラジオから流れてきた。ビートルズの名前は知っていたが、ジョン・レノンは聞いた事があるぐらいで、ビートルズのメンバーだったとは知らなかったのである。 ビートルズで知っていたのは、リンゴ・スターとポール・マッカトニーだけで、リンゴはとにかく憶えやすい名前だったし、ポールはこの年のはじめ日本で、麻薬所持法違反で捕まっていたので知っていた。ジョンが死んだニュースを聞いてスゴイ人が死んだと言うぐらいで、正直あまり実感が沸いてこなかった。
で、追悼の意味でジョンの曲が流れてきて驚いた。なんやこの曲歌ってる人やったんや!流れていた曲は当時大ヒットしていた「スターティングオーバー」だった。翌日、新聞の一面にジョンの死亡記事が載っていた。ホンマにスゴイ人が死んだんや!世界中が悲しみに暮れているのを知って、はじめて事の重大さに気づいた。 更にラジオではビートルズ特集が組まれ、ビートルズの曲を聴くたびに、自分自身知っている曲が多いのに驚き、これもビートルズだんたんだ!みたいな感じで、いつも間にかビートルズにはまり込んでしまっていた。これまでにも、ビートルズは聴いたことはあったが、そのころ、YMOなのどテクノポップ全盛期で ビートルズなんかは古臭く思っていた。どちらかと言えばアンチビートルズだった。
何事にも興味を持つ時というには、きっかけというのがあるが、わたしにとってはジョンの死亡がビートルズにはまり込んだきっかけとなった。そしてそれがジョンとの出会いであった。

ビートルズにはまりつづけた日々

高校に入ってからもビートルズにはまり、そのころから見て20年近く前に発売されたレコードをまるでニューアルバムのように聴いた。新しいビートルズを聴くたびに衝撃が走る。中でも、「ラバーソウル」に針を落とした瞬間、1曲目の「ドライブマイカー」にはぶっ飛んだ。斬新なギターとベースのユニゾンリフにジョンとポールが叫びながら歌ってる。 リアルタイムで聴いていた人はいったいどんな思いだったのだろう?ビートルズの映像で観客が絶叫している姿が映し出されるが、納得いくような気がする。
高2の時、ビートルズのコピーバンドを組んだり、社会人になってからは、MTRで1人ビートルズもやった。同じ会社のメンバーでもコピーバンドを組んで、ビートルズバンドコンテストにも出場。なんと名古屋市公会堂のステージにも2回立っているのだ。その時、ビートルズデビュー前にクビになったドラマー、ピートベストと握手もした。(ちょと自慢)
時代もレコードからCDへと移り変わり、オリジナル作品も全部そろえたし、海賊盤も数枚もっている。私のビートルズ好きは現在進行形で、つい2週間前にもライブでビートルズを演奏したばかりである。

ジョンの生涯

ジョンは1940年、イギリスのリヴァプールで生まれる。ジョンの幼少時代は決してめぐまれた環境ではなかった。両親は1歳の時に離婚、母親は家出、ジョン自身は叔母に育てられることになる。母親はジョンが18歳の時、交通事故死している。中学時代、非行に走り問題児であった彼に、叔母がギターを買い与える。そして、クォーリーメンというバンドを結成。 1956年にポール・マッカートニーに出会う。その後メンバーが幾度となく替わり、シルヴァー・ビートルズ、を経てビートルズにつながる。1962年に「ラブミードゥ」でデビュー、ビートルズの活躍は言うまでもない。1970年に解散。解散後はソロ活動に入るが、1975年、オノ・ヨーコとの間にショーンという息子が生まれ、 活動を休止する。5年後の1980年、ショーンが自分の父親がビートルズだったことを知り、それがきっかけとなり活動再開。アルバム「ダブルファンタジー」、シングル「スターティングオーバー」リリース。しかし、12月8日、インタビューから自宅へ帰ってきたところを熱狂的なファンに銃弾を5発うける。享年40歳であった。
ジョンはオノ・ヨーコと結婚する前に、シンシアという女性と結婚しており、ジュリアンという息子もいる。ビートルズの名曲「ヘイジュ−ド」はポールがジュリアンに贈った曲として有名である。ヨーコがジョンの死を最初に伝えたのが、ポールとジュリアンだったそうだ。ジュリアン・レノンは1984年にレコードデビューしてる。個人的には好きなミュージシャンの1人である。

ジョン・レノンやビートルズに関しては、思い入れがあるのでまだまだ書き足りないが、きりがないのでこの辺でやめておきます。でも、もしジョンが生きていれば今でも歌っていたのだろうか?真のビートルズ再結成もあったのだろうか?などと考えてしまう。常に平和を唱えていたジョン・レノンが21世紀を目前にした現代に生きていたとしたら、いったいどんな歌をどんな言葉で唄ってくれるのだろう・・・。 そんな事は考えても仕方がない。ただ言える事は、ビートルズのサウンドやファッションが、現代のミュージックシーンに多大な影響を与えている事には間違いないだろう。ジョンの魂は死してもなお永遠に受け継がれているのだ。


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