勝手にコラム


20世紀のスーパースター1
〜ザ・ビートルズ(1962−1970)〜


マニアック度★★★☆☆

前回のコラムで、ジョン・レノンの事を書いたらやっぱりビートルズについても語りたくなった。先月発売されたベストアルバム、「THE BEATLES1」が各国で1位になり、全世界で2000万枚を突破。 21世紀を目前にして、今だ色あせる事のないビートルズサウンド。解散して30年になるというのに、なぜこれだけブームになるのか?今回の勝ってにコラムは、そんなビートルズを、熱く、熱く、熱く語ってやるぞ〜!

4人の奇跡

それは、イギリスの港町リヴァプールでの出来事である。1957年7月6日に、ジョンとポールが出会ったのが全ての始まりだった。ジョンが16歳、ポールが15歳の時である。ジョンのバンド、クォーリーメンにポールがギタリストとして加入、1年後にジョージも加わった。 クォーリーメンはジョン、ポール、ジョージの他に、ベーシストにスチュアート・サトクリフ。ドラマーにピート・ベストがいた。クォーリーメンはシルヴァー・ビートルズと改名。キャバーンクラブやドイツのハンブルグ で腕を磨く。しかし、病弱だったスチュアートが脱退・・・死亡。ポールがスチュアートの代わりにベースを担当する。
やがてシルヴァー・ビートルズはビートルズと改名。そして、地元のレコード屋の店主、ブライアン・エプスタインの目にとまる。ビートルズのマネージャーである。彼のマネージメントにより、ビートルズは1962年レコードデビューを果たす事となる。 ところが、デビュー目前にピート・ベストが解雇。ハンブルグ時代から彼らと親交の深かったリンゴ・スターが加入。4人の奇跡はこうやってはじまったのだ。その4人とは!?

ジョン・レノン

1940年10月9日生まれ。主にサイドギターとヴォーカルを担当。ライブで「アイムダウン」を演奏する時は、オルガンを弾く事もある。日本公演でもステージ上にオルガンが置かれていたが、結局忘れていたのかギターを弾いていた。とにかく、がに股でギターを弾きながら歌う姿がカッコイイ。 私は個人的には、ジョンのヴォーカルが世界で一番うまいと思っています。まあ、世間的にはそうじゃないでしょう。彼よりうまいヴォーカルは山ほどいるでしょう。でも、ジョンはすごく自然に歌います。うまく歌おうと感情を込めるわけでもなく、本能のままという感じがする。「ライブアットザBBC」 という2枚組のライブアルバムでは、彼のシャウトした若々しい声が聞けます。
ビートルズ前期は彼がリーダーシップをとっていたが、後期は自分の音楽を追及しはじめ、他のメンバーとぶつかる事もあったらしい。特に、オノ・ヨーコとの出会いが彼の一生に影響をもたらした。ビートルズ解散後も、音楽をするかたわら、反戦運動や平和活動を積極的に行っていた。平和を愛したジョンが銃弾に倒れるとは、なんとも皮肉である。

ポール・マッカートニー

1942年6月18日生まれ。ベース担当だか彼はなんでも出来る超天才プレイヤーだ。元々、ギタリストだったので、ギターはもちろんの事、ピアノ、ドラム、ホーンもこなす。ヴォーカリストとしても、「エリナーリグビー」でグラミー賞の最優秀ヴォーカル歌唱賞を受賞しているほどだ。だが、それよりもすばらしいのは メロディーメーカーとしてのセンスである。ビートルズの名曲と言われる曲は、ほとんどポールの作品だと言っていいほどだ。「イエスタデー」「ヘイジュ−ド」「レットイットビー」はもちろん、「ロングアンドワインディングロード」「ミッシェル」「ヘアゼアアンドエヴリウェア」など、挙げたらキリがない。ポールと言えばバラード と思われがちだが、「ヘルタースケルター」などのようなハードロックもあれば、「オブラディオブラダ」のようなテンポの曲もある。「マザーネイチャーズサン」や「ブラックバード」のようなフォークソングもある。
左利きの人は器用だというが、ポールはその典型的なタイプだろう。ステージ上ではベースのネックを振り回しながらプレイする姿が印象的だ。日本公演では、彼のマイクが振動で横向いていくのを、必死でこちらに向けようと直している姿には笑えます。ポールのベースラインには私もかなり影響を受けた。アグレッシブかつ独創的なフレーズは、ギターを食ってしまうほどだ。 アルバム「アビイロード」の後半のメドレーでは、ポールの7変化ベースが聴ける。また、ジョージの名曲。「サムシング」のベースラインはすばらしい。
ビートルズ後期は彼がリーダーシップをとっていた。ライブ活動も停止していたビートルズはバンドとしての意味をなくし、それぞれが別方向にそれていたのをポールがまとめていた。しかし、1970年、ポール自ら脱退を表明。事実上解散となった。解散後も数々の名曲を生んだ。彼がバンド活動にこだわったのは、後にウイングスを作った ことにもわかる。ポールは2000年の今年も、30数年ぶりにキャバーンクラブでのライブを成功させた。

ジョージ・ハリスン

1943年2月25日生まれ。リードギターを担当。ビートルズのメンバーきってのハンサムボーイだ。最年少という事もあって、才能が開花するのは後期になってからである。デビュー時はまだ10代だったので、彼のプレイはまだまだ荒削りの部分があり、ガムシャラなギター小僧という感じがする。初期は自らの曲がなかったので、 ほとんどカヴァー曲を歌っていた。1枚のアルバムに対して、2〜3曲彼がヴォーカルを担当している。ジョンやポールに比べると、ジョージの歌唱力はかなり落ちる。しかし、彼独特のけだるさは2人にはないものを持っている。
中期になると、オリジナルも増え、アルバムには彼の作品も2〜3曲取り入れられる事になる。メキメキと実力を身につけ、アルバム「リヴォルバー」では、「タックスマン」がトップをかざる。ジョージがインド音楽に興味を持ち始めたのもこの頃で、シタールという楽器を自ら演奏し、レコーディングにも使用されることになる。「ノルウェーの森」では シタールが効果的に使われている。「ラヴユートゥー」「ジインナーライト」「ウィズインユーウィズアウトユー」の3曲はほとんどインド楽器だけで構成され、ビートルズサウンドに幅をもたらした。 後期になると、「ホワイルマイギター・・・」や「サムシング」などの名曲を残す。しかし、アルバムに2〜3曲しか入れてくれない事を不満に感じていたらしい。解散後はいきなり3枚組のソロアルバムを発表、かなりうっぷんが溜まっていたのだろう。ソロシングル「マイスイートロード」は、解散後、他のメンバーに先駆けて、ナンバーワンを獲得した。

リンゴ・スター

1940年7月7日生まれ。本名リチャード・スターキー。指輪を全ての指にはめていたことから、リングス→リンゴとなったらしい。最年長者であるが、ビートルズには最後に加わっている。彼はビートルズに入る前、当時リヴァプールでナンバーワンバンドだった、ハリケーンズに在籍してた。ビートルズのドラマーだったピートベストが解雇された為。ジョンに誘われて、 急きょメンバーに加わった。コミカルなキャラクターは人気も高く、映画「アハードデイズナイト」「ヘルプ」では主役を演じている。
60年代のドラムのスタイルは、スティックを手のひらに乗せて親指で添える、ジャズドラムの叩き方が主流であったが、現在のロックドラムは両手ともスティックを握り締めて叩くのが当たり前である。リンゴはいち早く後者の奏法で叩いていた。又、2拍4拍にスネアを入れるフレーズを多く取り入れるなど、新しいタイプのドラマーだった事がわかる。 案外それが、ビートルズサウンドが今でも色あせない秘密かもしれない。
リンゴももちろんヴォーカルをとっている。1枚のアルバムにつき、だいたい1曲は歌っている。ライブでは「ボーイズ」や「アイワナビーユアマン」を、首を振りながら歌う姿が印象的である。彼の歌った曲で最もヒットしたのは、「イエローサブマリン」でしょう。なんともトボけた味のある歌い方をする。 個人的には、「サージェントペッパーズ・・・」の2曲目の「ウィズアリトルヘルプフロムマイフレンド」が好きだ。

5人目のビートルズ

ビートルズが成功したのは、もちろん4人だけが優れていたわけではない。彼らに成功の影には様々な人物の影響があった。それらの人物を「5人目のビートルズ」と称される事がある。ここで一部を紹介しよう。
ブライアン・エプスタイン・・・・ビートルズのマネージャー。リヴァプールのビートルズを、世界のビートルズにした立役者。
ジョージ・マーティン・・・・ビートルズのプロデューサー。アルバム「レットイットビー」以外、全ての楽曲をプロデュースしている。彼がいなければビートルズの成功はなかった。
スチュアート・サトクリフ・・・・ポールの前にベースを担当していたが、病気で死亡。映画「バックビート」では彼の生涯が描かれている。必見です。
ピート・ベスト・・・・リンゴの前にドラムを担当。しかし、デビュー前に解雇。理由はいろいろ言われているが、まじめ過ぎる性格が他のメンバーと合わなかったらしい。
オノ・ヨーコ・・・・この人もそう言われていたらしい。
山田隆夫・・・・この人はずうとるび。

世界征服への道

デビュー曲「ラヴミードゥ」はあまり売れず。2曲目の「プリーズプリーズミー」ではじめてナンバーワンを獲得した。4曲目に発表した「シーラヴズユー」は、イギリス本国で300万枚の売上を記録。1977年まで最も売れたシングル曲だった。ちなみにその記録を破ったのは、ポールのウイングスの曲だった。
1964年にアメリカ上陸。瞬く間に人気者となり、レコードは売れつづけた。4月4日付けのビルボードチャートでは、1位から5位までを独占。先人未踏の大記録を打ち立てる。この記録は、たとえモーニング娘。がバラ売りをしても無理だろう。ビートルズはライブ活動やテレビ出演などをこなし、世界中を駆け巡った。

そして解散

ビートルズは1966年を最後にコンサート活動は中止している。おそらく自分達の時間が全くなくなってしまったからだろう。中期から後期の作品を聴くと、ライブでは再現不可能なレコーディングをしている。最高傑作の「サージェント・ペッパーズ・・・」をリリースしたのもこの頃である。完成度の高さを追求する時代へと変化していった。
個々のメンバーも独自のやりたい事を求め、次第に分裂しはじめるようになる。そんな頃、マネージャーのプライアン・エプスタインが急死する。互いを結びつけていたエプスタインをなくし、解散への道を急加速する。メンバーで唯一ポールがまとめようと、アップルビルの屋上でライブをするが、もう手遅れ。ポール自らがビートルズを脱退。解散となった。

ビートルズが売れた理由

ビートルズが売れた理由は数え切れないほどあるだろう。思いつくだけ挙げて見よう。

@ブライアン・エプスタインの戦略

ブライアンがはじめてビートルズを見た時の印象は、決して良いものとは言えなかったらしい。演奏中には酒は飲むわ、だばこは吸うわ、ケンカはするわで、最悪だった。だが、一旦演奏をはじめると、他にはない光るものがあったと言う。まず、彼らのステージ衣装だったジーンズに革ジャンをやめ、襟なしスーツにネクタイといった不良には全く似合わない服装にした。 また、リーゼントからマッシュルームカットに髪型も変えた。彼らに清潔感をもたらし、ステージマナーも充分叩きこんだのである。

Aジョージ・マーティンとの出会い

ビジュアル面では、ブライアン・エプスタインの手により、サウンド面では、ジョージ・マーティンの手によって施された。もともとクラシックの指揮者をやっていた事から、アレンジの面で彼の実力が発揮できたものと思われる。「イエスタデイ」の弦楽四重奏は彼のアレンジによるものであろう。 ビートルズの時代である60年代の曲を聴いて見ると、妙に古臭く感じるのだが、ビートルズを聴いているとそれほど古さを感じないのはなぜだろう?音質がまるで違うのだ。おそらく、ジョージ・マーティンは当時の録音技術を最高レベルまで引き出す事が出来たからであろう。
アレンジ面でも細かい配慮がうかがえる。たとえば、リズム1つにしても、ドラムだけ入れるのではなく、ハンドクリップやパーカッションなどが効果的に使われている。「アハードデイズナイト」のカウベルは非常に印象的だ。

B楽曲のよさ

楽曲のよさは言うまでもない。おそらくこれが、受け入れられた最大のポイントだろう。だが、彼らの音楽のルーツはどこから来たのだろう? ジョンやポールは、エルヴィス・プレスリーに影響を受けたと言う。ジョンがポールをバンドに迎え入れたのも、プレスリーに似ていたからと言う説もあるぐらいである。しかし、 それだけで、「イエスタデイ」のような名曲が生まれるとは思えない。デビュー前のビートルズはほとんどカヴァー曲を演奏していた。それらを聴くと実に様々である。ロックンロールはもちろんの事、黒人音楽やR&B、更には名前も知らないマニアックな曲をレパートリーに入れている。つまり、売れていようがなかろうが、いいものは吸収する、形にこだわらないスタイルが もたらしたのだろう。ビートルズの曲には、ロックとも、R&Bとも違う、新しいジャンルの部類と言っていいだろう。又、自分達で作詞作曲をし、演奏して歌まで歌ってしまい、ハーモニーも美しい。いままでに無かった音楽にファンは魅了されたのだ。
他にもいろいろ理由はあるがこのぐらいにしておきます。

ビートルズがもたらした影響

ビートルズが出現して以来、よく似たバンドがわんさと出て来た。ビートルズと同じリヴァプール出身のバンドも多く出たので、リヴァプールサウンドと呼ばれるようになった。また、リヴァプールに流れる川にちなんで、マージ−ビートと呼ばれる事もある。(私の住む町、津市に登場していれば、岩田川ビートと呼ばれていたのか?)彼らの音楽は非常にビートルズに似ている。ビートルズ自身が彼らに曲を提供する事もあった。 日本でもよく似たバンドが数多く誕生した。そう、グループサウンズの登場だ。彼らもまた、ビートルズのサウンドやファッションに影響を受けている。と言うより、マネしていると言ったほうが正解かも? 現代の作詞作曲家の中にも、グループサウンズの経験者も少なくない。よって、その後の日本のミュージックシーンにもかなり影響していたものと考えられる。現在、人気ナンバーワンバンド、GLAYの ファッションはビートルズそっくりである。

私とビートルズのかかわり

わたくしマコピーは、ビートルズ来日の時は1歳だったので、さずがに観ていないが、実はジョン・レノン以外の3人は直に観ているのだ。ポールは東京ドーム。リンゴとジョージはそれぞれ名古屋で観ている。デビュー前まで在籍していたピート・ベストとは、握手もしてもらった事もある。でも、それがどうしたと言われれば、それまでだが・・・。

今でも売れ続ける理由

最後にこの問題だが、いくら考えても答えが出てこない。なぜだろう? ビートルズが成功した影には時代背景もあったからだと言う人もいるが、それは全くデタラメである。解散後も売れつづけ、現代に至っているからだ。もうすぐ21世紀になるが、ビートルズは不滅である。今世紀最も成功したロックバンドである事は間違いないのだ。間違いなく21世紀も 売れ続けるであろう。あと何世紀売れ続けるのだろう? おそらく宇宙時代になっても、地球文化の代表になる事は間違いないだろう・・・?

最後の最後に、最近シャ乱Qのつんくが、ビートルズの完全コピーアルバムを発表したので、ちょっと触れておきます。聴いた感想としては、結構細かいところまでコピーしてるなって思った。ジョンのパートであれ、ポールのパートであれ、メインヴォーカルはつんくがやっている。ジョンのパートは似ているがポールはかなり無理がある。 ポールのパートだけでも、別の人を起用すればよかったのにと思った。演奏に関しても、間違っている所やヘタな所まで、忠実にコピーしているが、しょせんプロの演奏だからうますぎる。どうせなら、キャリア3〜4年のアマチュアを起用したほうが雰囲気が出たかも? 私もかつて、MTR(マルチトラックレコーダー)を駆使して、 1人でビートルズを録音したことがある。ドラムはシーケンサーを使うが、ベース、ギター、キーボード、ヴォーカルは全て自分でやった。「アンドアイラブハー」はドラムのかわりにパーカッションが使われているので、私は、エフェクターの箱と、スプーンが入っていた桐の箱を叩いて本物の音に近づけた。今回、つんくのアルバムを聴いて、ついその事を思い出した。


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