_ スーパーアグリF1チームからの声明。カスタマーシャシーがダメってなった時点でこうなるのは目に見えていたかもしれないが、残念…。資金面ではSS Unitedのスポンサー料不払いというのが痛かった。でも、SAF1の活動をスポンサードしてくれる日本企業が現れていれば、そんな怪しげな会社と契約する必要もなかったわけで…。
2年4ヶ月という短い活動期間だったけど、下位ばかり走って終わったわけではなく、前年度のチャンピオンであるアロンソをぶち抜いて6位に入賞した去年のカナダGPのような結果を残すことができたのはよかった。SAF1、ありがとう。亜久里代表、お疲れさまでした。
_ 4連休直前に熊野のホテルを押さえることができたので、3〜4日は熊野・潮岬・那智の滝と観光を兼ねたサイクリング&ドライブをしてきた。それにしても、東紀州は離島を除けば東京から最も(時間的に)遠い地域といわれてる(空港も高速道路もない)けど、自分とこからでも充分遠い…。
_ 初日のサイクリングコース(→走行マップ)は、翌週開催される「ツール・ド・熊野」(今年からUCI国際レースに昇格)の第2ステージ(熊野山岳コース)に近いルート。9:30頃、デポ地の御浜町役場を出発。まずは国道42号を少しだけ北進した後、西に折れて県道739号を通り、国道311号へと向かう。国道311号は新田トンネル、釜谷トンネル、新明神滝トンネル、風伝トンネル…とトンネル続きだが、いずれもその上を通る旧道が残っているので、そちらを通過することに。
_ 新明神滝トンネルの上を行く旧道には昔の隧道が残っていた。出口側の光は見えているものの、トンネル内に照明はないため、ゆっくりと通過する。車通りがないのが幸い。次の風伝トンネルの上を行く旧道は、熊野古道の一つである風伝峠。途中、道路脇から石畳の道が延びているところがあったので、少しだけ「熊野古道」を散策。尤もサイクリングシューズは石の上では滑りやすいので、脇の土道を選んで歩いたが…。その後、旧道に戻って上っていくと、お茶屋が見えた。今でも営業しているらしい。お茶屋を通り過ぎてすぐ、風伝峠に到達。
_ 風伝峠自体は展望ゼロだったが、峠からの下り途中で下を走る国道311号が見えた。良い眺め。下り終えると、その国道311号に合流。次の目的地は丸山千枚田。間違って少し国道311号を紀和町方面に走ってしまったが、すぐ気づいて折り返し、コンクリート舗装の県道780号を北進。約1.6km進んだところにある分岐点を右折すると、丸山へと向けて道が上り始める。
_ 丸山千枚田を訪れるのは「ツール・ド・熊野」の旧名称「3DAYS熊野」を観戦しに来て以来数年ぶり。ここはいつか自分の足で上りたいと思っていたところ。急傾斜に幾重にも重なる棚田の光景は何度見ても素晴らしく、楽しく上ることができた。ちょうど手作業で田植えをしている人もいたり。千枚田を登り切った後は、県道40号沿いの展望所で千枚田の全景を眺める。
_ その後、県道40号を北に進んで、育生町へと下り、尾川簡易郵便局の三叉路を左に進む。北山川を渡って和歌山県北山村に突入。ここは全国で唯一、自治体がまるまる飛び地となっていることで有名な村。道の駅おくとろはオートキャンプなどで賑わっていた。GPSの地図を見ていたら、この先の小森ダムで対岸へ渡れそうだったので、そのまま国道169号に乗って西進。しかしなかなかダムが見えてこない。小森トンネルという照明のない狭いトンネルが現れたので、車が通らない隙に怖々通過したが、それでもダムの姿は見えない。国道の下を行く北山川の流れを見てみたら、トンネルを通過する前とは一変して荒々しい雰囲気になっていた。これが瀞峡か。しかしダムはトンネル通過中に通り過ぎてしまったらしい…。ということは対岸には渡る道はないのか…。しばらく進んだところにあった「雷の滝」の先でUターンし、再び暗い小森トンネルへ…。今度も何とか車に遭遇せずに通過できたが、怖かった…。3連LEDライトだけでこういうところを通過するものではないなぁ…。ちなみに、ホテルに着いてから見た7時のNHKニュースで、瀞峡の観光筏下りがこの日営業初日を迎え、筏の上で結婚式が行われたという映像が流れた。もう少し早い時間にここを訪れていたら、筏に乗った新婦が白無垢の花嫁姿のまま激流を下るという面白い光景に遭遇できたようだ…。ちょっと残念。
_ 道の駅おくとろまで戻った後、北山川に架かる上瀞橋という吊り橋を通過して対岸の紀和町へ。床がグレーチングになっている吊り橋にはもう恐怖感を感じなくなったなぁ(^^;。育生町長井まで戻って、今度は尾川川沿いの県道52号を上る。しばらく進むと背後に大丹倉と呼ばれる大絶壁が出現。展望所にあった解説によれば、昔から修験者たちの聖地だったとのこと。車でも上まで上れるとのことだったが、今回はパス。さらに進むと雨滝という滝があり、道路脇の階段を上ったところから滝が見えるということだったが、木が邪魔になってあんまり見えず、残念。
_ 赤倉の集落あたりから勾配がきつくなり、札立トンネルまでの上り開始。ロードは数カ月ぶりということもあってもうバテバテで、全く速度が上がらない。それでも3.5kmほどで札立トンネルに辿り着いたが、せっかくなので、来た道を少し引き返してトンネルの上にある札立峠まで上ってみた。札立峠までの道は、長尾山へ行く道でもあり、木の葉などが多いもののしっかり舗装されていた。しかし、1.3kmほど進んだ先にあった札立峠は突然舗装が途絶え、その先は不法投棄に占拠されていた。熊野側へと下りていく道は見当たらず…。上ってきた道を引き返して札立トンネルを通過。トンネルを抜けると、御浜町から熊野灘が見渡せる展望が待っていた。素晴らしい。
_ 札立トンネルからそのまま下ると国道311号に出るが、下りきらず、山裾を行くうねうね道を進むことに。このあたりの山裾はみかん畑でいっぱい。紀州みかんで有名なところのようだ。山裾の道を過ぎて近大高専の横を通過し、県道141号“オレンジロード”へ。すぐに有井トンネルというトンネルが眼前に現れたが、交通量が多い上に歩道が狭かったため、やむなくトンネル内は歩いて通過。トンネルを抜けた先は熊野市の中心地。海岸沿いまで出て、国道42号へ。七里御浜海岸の獅子岩を見た後、ひたすら南下してデポ地の御浜町役場へ戻り、この日のサイクリングは終了。ホテルで一泊して、翌日は串本へ。
_ 2日目は串本町古座分庁舎をデポ地にしてサイクリング開始。(→走行マップ)まずは古座川沿いの道を進んで、熊野灘沿いの国道42号に出る。その古座川にかかる古座大橋の手前には、「第五福竜丸建造の地」の記念碑が建っていた。
_ しばらく国道42号に乗って南西方向に進む。しばらくすると、岩が橋の杭のように規則的に並んでいる「橋杭岩」が視界に入った。国の天然記念物の指定を受けている奇観。潮は引いていたので橋杭岩まで歩いて行けたようだが、観光客が大勢いたので駐車場から眺めるにとどめた。
_ そこからさらに国道42号を進み、串本町の市街地へ。徐々に、紀伊大島へかかる「くしもと大橋」の姿が大きくなってきた。国道42号はこの先西へ折れて白浜方面に延びていくため、ここで別れを告げて、潮岬を周回する県道41号「潮岬周遊線」へ。海沿いを行くこの県道をしばらく辿っていくと、でました、紀伊大島への分岐。ここを左折するといよいよくしもと大橋へ。苗我島で橋はぐるっとループし、続くアーチ橋を渡って紀伊大島上陸。@p
_ 大橋はずっと上りだが、大橋を過ぎても上りのピークはまだまだ先で、結局標高差100メートルの上りをこなしてようやく下りに。でもすぐにまた50メートルほどの上り…。島の真ん中を道が走っているから当然といえば当然のアップダウンだけど、昨日の疲れも消えぬ間にこのアップダウンは少々辛かった。この間、展望はなし。
_ しかし、そうこうするうちに島の東端部に辿り着いた。駐車場があったが、自転車は灯台のところまで通行可とのことなので、そのまま進んでいく。東端部はトルコ記念館があったり、トルコアイスやトルコ絨毯が売られていたりと、やたらとトルコ色が強い。数年前にネットなどで話題になった「エルトゥールル号遭難事件」が起きたのがこの地だからだ。「エルトゥールル号遭難事件」とは、1890年に紀伊大島沖でオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が沈没した事件。司令官オスマン・パシャをはじめとする587名が死亡または行方不明となる大惨事となったが、この時、地元住民が総出で救助活動に当たり、69名が助け出され、これがもとでトルコと当地が友好関係で結ばれることになったという。しかもこの事件はトルコ人にはよく知られており、トルコ人に親日家が多いのはこのためと言われている。トルコ記念館の先にはエルトゥールル号の遭難慰霊碑が建てられていた。
_ 遭難慰霊碑のさらに先に、樫野埼灯台という灯台が建っていた。この灯台は、「日本の灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントン設計による日本最初の石造灯台とのこと。灯台内部には入れないものの、外部階段から灯台に登ることができ、熊野灘の景色を一望することができた。
_ 灯台から戻って、一旦通り過ぎたトルコ記念館に入場。館内にはエルトゥールル号の乗員の遺品、それに同号の模型などが展示されていた。エルトゥールル号遭難事件時の村長の日誌などは興味深かったが、時間もあんまりないのでぱらぱらと読む程度に。あと、2002年のサッカーW杯の際のトルコ代表選手のユニフォームも飾られていた。
_ 東端部の観光を一通り終えた後は、来た道を逆走して島の西側へ。金山展望台という展望台があるというのでそっち方面に向かったが、下り坂を進んでいっても展望台へ向かう道は見当たらず、とうとう突き当たりの漁港まで辿り着いてしまった。仕方なく、もとの道まで引き返す。100メートルほど一気に下ったので、その分また上るのが大変…。上っていくと、途中に先程は見つけることができなかった展望台への入口を発見。「ここから1km上った先に展望台が云々」と書かれていた。そんなに上る気力はないので、展望台に行くのは断念。くしもと大橋を再度渡って、紀伊大島を脱出。潮岬半島に戻って再び南下。
_ 浪ノ浦を過ぎると少し上りがあり、その先に潮岬観光タワーが見えてきた。が、こいつは無視して一路潮岬灯台へ。灯台手前に有料駐車場があったが、バイク、自転車などは無料らしく、灯台へ向かう通路のようなところに自転車を置いて灯台に向かう。
_ 潮岬灯台は紀伊大島の樫野埼灯台と同じくリチャード・ヘンリー・ブラントン設計によるもので、白亜の美しい灯台。こちらは参観料を払う必要があるものの、灯台内部から上へ登ることができ、太平洋を一望できた。資料館も併設されていて、昔使われていた灯台レンズなどが展示されていた。
_ 灯台の次はすぐ近くの潮御崎神社に寄ってお参りを済ませ、それから本州最南端から発つことに。県道41号「潮岬周遊線」を北進し、潮岬半島のつけ根へと進む。当初はこの後国道371号を通って古座へと戻る周回コースを考えていたが、車で帰る途中に那智の滝にも寄りたいなぁという欲が出てきたため、コースを短縮して行きに通った国道42号沿いを遡り、デポ地に戻る。
_ 14時過ぎ、車で古座から移動開始。1時間強で那智に辿り着いたが、連休中ということもあり駐車場は満車。…やっぱりこういうところは観光客がよく集まるよなぁ…と思っているうちに駐車場が空いて、それほど待たずに車を止めることができた。
_ 駐車場からお土産屋などのある通りを下って、熊野那智大社の別宮である飛瀧神社へ。鳥居をくぐってしばらく下っていくと、那智の滝が姿を現した。落差133mの大瀑布はまさに圧巻。300円払うと滝壺に近いところまで行けるというので、ええ商売やなぁと思いながらも、せっかくここまで来たのだからとお金を払って進む。すると今度は延命長寿の水というのがあり、100円の神盃を買えばそれで飲むことができるという…またまたええ商売やなぁと思うが、やっぱりせっかくなので買って飲むことに(^_^;。
_ 那智の滝を拝んだ後は、お土産屋の通りから石段の参道を上って、熊野那智大社と「西国一番札所」の青岸渡寺を参拝。どちらの社寺も境内を一通り回るつもりだったが、途中で同じ会社の人に遭遇したため(相手は気づかず)、再度会わないよう、全部を回りきらないままお土産屋まで戻ってきてしまったのだった…。
_
17時30分頃、帰宅の途に。途中、道の駅で休憩をとりながら、家に帰り着いたのは22時。隣県なのに、和歌山は遠いなぁ…。
_ フォーミュラニッポン第2戦を見に、鈴鹿サーキットへ。朝から雨が降り続き、気温は15度を下回る寒さ。
_ FCJ第3戦はフォーメーションラップでポールシッターがスピンオフしちゃったりと始まる前からグダグダ(^^;。レースが始まってもスピン、コースアウト、クラッシュの山。特に最終コーナー、一体何台のマシンが餌食となったのか…。女性ドライバーの神子島みかは最後尾を走っていたが、最後には1コーナーで餌食となっていた。そんな中、1コーナーでトップに立った千代が安定した走りでトップチェッカー。
_ Fポン予選はF1と同じノックダウン方式で、なかなか見応えがあった。昨年度のチャンピオン松田次生が異次元の速さでPP獲得。今年は手が付けられない速さになりそう?新人の平手晃平が4番手と健闘していた。逆に開幕戦で上位に来ていた伊沢拓也はQ1で脱落して16位どまり。本山はQ2で脱落して9位。エンジンはトヨタ勢が優位で、ホンダ最上位は小暮だった。
_ 最後はF3第5戦決勝。この頃になるともう寒くて震えが…(^^;。レースはPPの安田がポール・トゥ・ウィン。こっちはFCJとは違ってそんなに荒れなかった。中嶋一貴の弟・中嶋大祐が5位に。ヘルメットデザインは一貴と同じく父親同様のものだった。
_
終始雨だったが、どしゃぶりというわけでもなかったので「EOS Kiss X2」初使用に踏み切った。とはいえいきなり雨に当てることになるとは…。ピットウォークは、今回スポンサー付?(マクドナルド)でびっくり。でも安くはなっていないんだな…。
この日記は、GNSを使用して作成されています。