_ 度会町役場にデポ。そこから宮川を遡って旧大宮町へと入り、藤越を通過して戻ってくる予定だったのだけど、GPSを見間違えてしまい、いきなり度会町を走る県道22号を南下してしまったため、予定変更して逆回りに。
_ 今ひとつ単調な県道22号を12kmほど進み、南中村のガソリンスタンド先を右折。一之瀬川の清流に沿って徐々に上っていく。ゆるかった勾配もじわじわときつくなってくるが、極端な激坂はなく、30分強で藤越へ。峠手前で林道新設工事が行われていて、工事看板が峠付近にかかっていたのは残念…。
_ 藤越から旧大宮町方面への下りは、路面状態が意外に良かった。下りきったところで、この先のルートを再考。まだ今年まともに走っていないわりには順調に登れたなぁ…ということで、欲を出して藤坂峠にも行ってみることに。
_ 藤坂峠は2度目。先程の藤越よりも標高は上。特徴的なのは、ヘアピンカーブが何度も登場するところ。なるべくアウト側を走って、着実に進む。麓から無休憩で、藤坂峠へ到着!ここは南伊勢町側の眼下に海を望むことができて、展望が本当に素晴らしい(若干春霞がかかっていたが…)。
_ 藤坂峠で写真を撮っていると、南伊勢町側から一台のワンボックス車がやってきた。目の前で窓が開いて、顔をのぞかせたおばちゃんが「この先(国道)42号に行ける?」と訊いてきた。どうやらカーナビの指示に従って、車で通るには厳しいこの峠道に迷い込んでしまったようだ。うーん、ご愁傷さま。「この先も道狭いですよ」と言っておいたが、果たして無事に辿りつけたか…。
_ 前回藤坂峠に来たときは、足が残っていなくてそのままピストンしたのだけど、今回は意外と足が残っているので、そのまま南伊勢町方面へと下り、未攻略の能見坂から戻るルートをとってみることに。
_ 藤坂峠を下りきると、南伊勢町河内の河内川沿いの道路に出た。桜並木が綺麗。
_ 一旦吉津港まで行って海を見たあと、能見坂を目指して国道260号を東進。河内トンネル→中坂トンネル→東宮坂トンネル→東宮トンネルと、短くて狭いトンネルを通過して、贄浦へ。しかしこの間のアップダウンをこなすうち、実はそんなに足は残っていないことに気づく。まずい、この先の能見坂は登れるんだろうか…。
_ 道方から国道260号を離れ、おそらくかつて県道22号として使われていたであろう2車線ある車の通らないくねくね道を走る。ここが意外と勾配がきつく、速度が全く上がらない。なんとか新道との合流地点までやってきて、息を整える。
_ 新道を少し上ると、すぐに野見坂南トンネルの入り口が目に入ってきた。この野見坂南トンネルは、申し訳程度の歩道があるのみ…。交通量がそこそこあるので、車道を走るのは結構怖そう。ということで、軽いギアでゆっくりでいいから、トンネル脇から延びる旧道を走って能見坂を目指すことに。
_ この旧道からは贄湾の景色がまた見えてよかった。勾配も、新道へ合流するまでよりも緩やかで、ピークにある野見坂隧道まで順調に辿りついた。
_ その野見坂隧道。昭和3年竣工という年代物のトンネル。煉瓦造りが美しい。
_ 野見坂隧道の度会町側からはヘアピンカーブのある下り。道幅も広いので藤越・藤坂峠よりも速度が出せる。車は来ないだろうし…と、気を抜いたその瞬間、車が現れたのにはびっくりしたけど。
_ 峠道を下り終え、北へと少し走ると、行きに通った南中村へと戻った。そこからはひたすら北進。意外ときつい向かい風が続き、度会町役場に戻るまで、全然速度が出なかった…。
_
本日の走行距離73.94km、走行時間3時間47分18秒、平均時速19.5km、最高時速52.2km。獲得標高は1225m。一応1000m以上上ったのか…。
_ 地元の隣・伊勢が舞台となっている映画『半分の月がのぼる空』を観に行く。津でも上映しているが、あえてここは伊勢のミニシアター・伊勢進富座へ。
映画館入り口でポッキーと皇學館の学園報をいただく(^^;。ポッキーは江崎グリコからのご提供。ヒロインの忽那汐里がCMに出ている関係ですな。皇學館の学園報は、2ページにわたって映画の特集が組まれていた。大学でもロケが行われたりしたらしい。
お客さんの入りもなかなか。進富座には何度か足を運んでいるけど、あれだけ入っていたのは初めてだった。3月27日の先行上映初日には満席の回もあったとか。
_ 肝心の映画は、前半はちょっとイマイチかなぁ…と思っていたのだけど、途中で思わぬどんでん返しがあって、話がわかってからが良かった。夏目先生が大泉洋ってのはキャスティングミスってるだろう、と思っていたけど(今原作を読んでいる最中)、映画を最後まで見たら、ああ、だから起用されたのかと納得できた。もっとも、原作の熱烈なファンほどこの映画に否定的な感想を抱きそうだけど…。
_ ネタバレ反転。 夏目先生と裕一たちとがなかなか絡まないなぁ…と思っていたら、叙述トリックになっていて、実は夏目=大人になった裕一だとは。でもこれだと、公式サイトを含め、各所に書かれている映画のあらすじは間違いを含んでいることになるよなぁ…(^^;。ネタバレ終わり。
_ ロケ協力にはちゃんとうちの市の病院の名前も出てきた。病室内のロケのみだったので、どの場面がうちの市の病院で撮られたものなのかはさすがにわからなかったけど(^^;。
_ 第3戦マレーシアGPは、大波乱の予選結果が決勝のリザルトにかなり影響した形。予選Q1で天気予報がハズれ、最初の方でタイムアタックをしなかったフェラーリとマクラーレン勢が脱落(バトンはQ1を通過したものの、コースアウト→ストップでQ2走れず…)。3強のうち唯一上位グリッドに就いたレッドブル勢が決勝では余裕の1-2フィニッシュ。ギアを失いながら終盤バトンを攻め立てたアロンソは、無理が祟ってエンジンが壊れ、痛い無得点レースに。でもあそこで守りに入らなかったのは個人的には気に入った。
_ チャンピオンシップは、未勝利ながら3戦コンスタントにポイントを稼いでいるマッサがトップに。アロンソ・ベッテルともにノーポイントレースがあるのが響いているなぁ。
_ 小林可夢偉はエンジントラブルで3戦連続のリタイア。デラロサの方はスタートすらできず…。ザウバーがまさかこんなに信頼性がないとはねぇ…。
_ それにしても、予選の際、ピットロードで並ぶ他車の横から割り込んだクビサ、あれは結局何のお咎めもなし?割り込まれたフォースインディア勢が赤旗による中断の後、2度同じことはさせじと2台の車を並べてブロックラインをとったにのは笑ってしまったけど。
_ 第94回ロンド・ファン・フラーンデレン。今年はボーネンVSカンチェラーラ。石畳セクションの一つモーレンベルグでカンチェラーラがアタックをかけると、それについて来れたのはボーネンだけ。その2人の戦いも、ミュール・カペルミュールで決着。化け物のようなパワーを持つカンチェラーラがシッティングのまま加速をかけると、ボーネンはついて来られず…(足をつってしまったらしいが)。しばらくボーネンを追っていたカメラがカンチェラーラの姿を探そうとするも、カンチェラーラはもう遙か先に行ってしまっていた…。残り10数キロはカンチェラーラの独壇場で、観客から受け取ったスイス国旗を手にしながら、余裕のゴール。凄かったなぁ…。
_
ランス・アームストロングはしっかり上位集団内(先頭は5位のファラー)でゴール。2005年に出場したときは2分4秒差の28位でフィニッシュしているけど、今回は2分35秒差の27位。衰えていないなぁ…。
_ 今日は三重・滋賀・岐阜の3県をまたぐサイクリング。(→本日の走行マップ)
_ スタートはいなべ市藤原庁舎。役所の駐車場はデポ地に最適。まずは標高625mの鞍掛峠(トンネル)へ向けて、標高差450mのヒルクライム。走り始めて5kmとたたないうちに登り始めたため、今ひとつペダリングが重かったが、しばらくして先行していたローディーさんの姿が近づいてきたため、その方を目標に進んでいく。目の前に目標があると精神的に上りやすいもんだねぇ。道は全面2車線で、走り屋も出没するとか。勾配は中盤に来て一旦緩くなるが、終盤はまた登り始めのような勾配に。ただ、心が折れるような激坂はなく、ヘタレな自分でも無休憩でトンネルのところまで上ることができた。
_ トンネル手前にはロードバイクの方が何人も。普段からここはロード乗りの人が多いのか、それとも明日の伊吹山ヒルクライムに向けたトレーニングか何かでたまたま多いのだろうか。駐車場の先からは上ってきた道が眼下に見えて景色が良かった。
_ トンネルを抜けるのに、LEDライトを準備しようとしたら、電池切れで点灯せず…。仕方が無いのでトンネル内の照明を頼りに、ゆっくりと鞍掛トンネルを通過。車もそれなりに通過するのでちょっと怖かった。
_ 鞍掛トンネルを抜けるとそこは滋賀県。出口から先の眺望もなかなか。そしてここからの下りはなかなか爽快で、対向車に気をつけながら、気持ちよく下る。犬上川と合流し、佐目トンネルを通過し、びわ湖東部中核工業団地の脇を過ぎると、多賀大社の近くに出た。その先の県道224号を西へ進み、高宮町交差点から国道8号に乗る。さすがに一桁国道だけあって交通量は多く、渋滞気味の車列の脇を注意しながら進む。
_ 古沢町交差点先に、金閣寺やら五重塔やらを模した建物が敷地内に建っている怪しげなスポットを発見、後でそれがB級観光スポットの佐和山遊園であることを知る(^^;。
_ 鳥居本町南交差点で国道8号を右折し、さらにすぐ左折したところが、旧中山道の63番目の宿場、鳥居本宿。かつて道中合羽を作っていた「本家合羽所」や、現在も薬を販売している赤玉神教丸本舗などの古い建物が多くあり、古の雰囲気を漂わせていた。
_ 鳥居本宿を過ぎてすぐ、摺針峠へと向かう。短い上りで、展望はわずか。峠にはかつて、広重の「木曽街道六十九次」の鳥居本宿の絵にも描かれた望湖堂という茶屋が存在し、当時はそこから琵琶湖を望むことができたようだが、残念ながらその望湖堂は平成3年に焼失、また琵琶湖も埋立によって当時と姿を変えてしまっていて、現在ではこの峠からの景色は昔言われたような中山道随一という絶景ではなくなってしまっているとのこと。残念。
_ 摺針峠から少し下ると、中山道は名神高速道路としばらく並走。次の宿場町、番場を過ぎ、樋口交差点の先で一旦国道21号に出た後、またすぐ右に折れて、旧中山道61番目の宿場・醒井宿へ。
_ 醒井宿は、街道に沿って清らかな地蔵川が流れ、さらにまた満開の桜が立ち並んでいて、素晴らしい景観だった。地蔵川の源流は、加茂神社にある「居醒の清水」と呼ばれる湧き水。「古事記」「日本書紀」の中で、伊吹山の大蛇を退治した日本武尊が、退治した際に当てられた毒気を、この湧き水で体を冷やすことによって治したという伝説がもとで、その名がついたとのこと。そのため日本武尊の像が池の上に立てられていた。「居醒の清水」と地蔵川には湧水地でしか生息が確認されていない絶滅危惧種のハリヨがいるとのことで、しばらく水面を眺めていたが、残念ながら目にすることはできず…。
_ 醒井宿の次は柏原宿。ここはもぐさが特産品で、最盛時には10軒以上のもぐさ屋があったとのこと。現在では唯一、伊吹堂亀屋佐京商店という商家がもぐさを商っている。創業三百数十年を誇り、広重の「木曽街道六十九次」にもこのもぐさ屋が描かれているらしい。建物に掲げられた大きな古い看板が伝統の重みを感じさせてくれた。
_ 柏原駅の先にある、八幡神社の境内からは、伊吹山が見えた。もう雪はあんまり残っていないようだ。境内には松尾芭蕉が伊吹山を詠んだ句碑があった。
_ 柏原宿を過ぎて少し進むと、今須の交差点で旧中山道はまた国道21号を横切る。その手前に県境があり、岐阜県関ヶ原町に入った。今須宿を過ぎ、またも国道21号を横切った先に、今須峠の案内看板が。かつては難所だったということだが、滋賀県側から来た場合は、え?峠?という感じでほとんど登らない。反対側の岐阜県側はちょっとした上りだったが、本当に難所だったのかというほどの高低差だった。
_ さていよいよ関ヶ原。壬申の乱・関ヶ原の戦いの舞台だけあって、史跡が多い。住宅街にあって見落としそうになる不破関跡を見た後、関ヶ原古戦場開戦地→島津惟新陣跡→笹尾山(石田三成陣跡)→最終決戦地→徳川家康最終陣跡→東首塚と巡った。
_ 関ヶ原の史跡巡りを終えた後は、国道365号を辿って南下。上石津町一之瀬からは国道を外れ、勝地峠へと向かう。標高170mほどの小峠。でもこの峠は道が険しく、伊勢街道最大の難所といわれたところだとか。上石津中学校前から始まる登り口からしばらく上った後、一旦下り、またゆるやかな上りが続いたりして、どこが峠なのやらよく分からず。しかししばらく進むと、「勝地峠」と書かれた石碑と案内板があるのを発見。ここが峠になるのだろうか。
_ 勝地峠から多良へと下った後、集落を抜ける道をしばらく走る。集落の道路が国道と合流した後は、国道365号、通称「牧田川やまざくら街道」を南下して三重県へと戻ったのだけど…終盤はもう足がいっぱいいっぱいで、全く速度が出ず、休憩しまくりだった。後からGPSの記録を見たら、県境付近は意外と上りになっていたようで、だから速度が上がらなかったわけだ…と納得。
_
本日の走行距離93.66km、走行時間4時間28分44秒、平均時速20.9km、最高時速63.6km。獲得標高は1178m。
この日記は、GNSを使用して作成されています。