〜 いきているきろく 〜
2004年09月編 その2

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2004/09/11 (土)

横浜

_ 久しぶりに東へ向かうことになったついでに、横浜まで足を伸ばす。関東入りは3年ぶり。名古屋からのぞみで新横浜まで行き、在来線とみなとみらい線を乗り継いで日本大通り駅で下車。

_ 日本大通り駅を出てすぐ、目的地の放送ライブラリーに着く。わざわざ横浜までやってきた理由は、「昔のウルトラクイズの映像を見たかった」から(^^;。放送ライブラリーには、過去に放送されたテレビ番組・ラジオ番組などが保存・公開されていて、アメリカ横断ウルトラクイズに関して言えば「第10回」の第1週〜第4週と「今世紀最後」の前・後編が見られるようになっている。お目当ては「第10回」の方。自分が初めてウルトラクイズを目にした回だったりする。時間の都合で第2週目から見始めて、第4週まで見ることができた。

_ 第10回はアトランタで南北ルートに分かれるのが特徴。北はオーランドのディズニーワールド→マイアミからカリブ海クルーズ→ナイアガラの滝という天国ルート、南は富士山よりも高いところに位置するボリビアの首都ラパス→チチカカ湖→ブラジルのリオデジャネイロという地獄ルート。決勝ニューヨークは、それぞれのコースを勝ち抜いた2人による熾烈な戦いとなって、南米チャンピオンの森田敬和氏の優勝…。内容は知っているけど面白かった。次の週の放送はまだかなまだかな…と待ちわびていたあの頃の記憶が蘇った。高島忠夫と石川牧子アナによる掛け合いを聞いて少し涙が出てしまった…(^_^;。

_ 時間があれば他の番組も見たかったけど、余裕がなくなったのでウルトラクイズ3週分だけ見て離脱。横浜で他に何をするわけでもなく、そのまま豊橋まで戻って一泊(苦笑)。

_ ちなみに新横浜←→放送ライブラリーは、乗り換えの失敗続きで疲れた。JR横浜駅は人が多すぎたし。みなとみらい線に乗り換えないで、地下鉄で関内駅まで行って、横浜スタジアムの傍を通って行った方がよかったかもしれない…。


2004/09/12 (日)

浜名湖花博

_ 紅茶のメンバー計6人で浜名湖花博へ。数日前まで雨が降るかもしれないという天気予報だったのに、結局晴れて暑い日に。帽子の用意もしていなかったので、日射がきつくてたまらん…。おまけに天気がよくなって結構な人混みだったというのに、日傘(時折、雨傘)をさすおばさんが続出して危ないのなんの…。各施設、○○分待ちというがざらで、入る気にならず。昼食の予約もなかなか番が回ってこなかった。

_ 花博自体の感想は、季節のせいかもしれないけど、「花」博という割に花が目立ってなかったというか。まぁ、正式には「しずおか国際園芸博覧会」なので、その通りの内容と言えばその通りなのだが…。

_ 夕方には帰路につく。帰りの電車内で冷房にやられてしまった。おまけに名古屋からの近鉄の特急券を買う際に、自動券売機で間違って一般車(喫煙車)の指定席をとってしまったために、たばこの煙でさらに頭痛に苛まれることに…。帰宅後、とっとと寝た。


2004/09/13 (月)

一回休み

_ 夏休みその3。先日の頭痛は、バファリンであっさり治った。

F1

_ F1イタリアGP決勝。夜の間に雨が降って、ちょい濡れ状態でスタート。1周目でシューマッハがスピンし、まさかフェラーリ地元で惨敗?と思ってたら…。終わってみれば劇的な1-2フィニッシュ。マジックを見たかのようなレースだった。特に最後のバリチェロのピットインのシーン、4番手の佐藤琢磨の前に出られるかどうか…と実況解説陣が言っていたら、コースに復帰してみれば何とトップで復帰。時を同じくしてシューマッハがバトンを躱し2位に浮上…。フェラーリ凄すぎ。

_ スパ、モンツァと名コースでいいレースが続いて、次は新コースの中国・上海サーキット。面白みのない展開になったら、「やっぱりヘルマン・ティルケサーキットは…」と言ってりそうだな。

_ このGPを前に、パニスの引退が発表された。94年デビューイヤーで表彰台、96年大波乱のモナコで初優勝、97年序盤BSタイヤを履いての大活躍…ここまで順調なドライバー人生だったのに、カナダGPでの大クラッシュで歯車が狂ってしまい、以降は活躍することなく終わってしまった。来年はトヨタの開発ドライバーを務めるということだけど…引退前に、トヨタの初表彰台を実現してほしいね。今のトヨタのマシンでは苦しいけど。


2004/09/18 (土)

来季1チーム削減?

_ プロ野球がストライキによる中止という歴史的な日のNHKニュースで、ジャガーがF1を撤退するという報。親会社であるフォードのリストラ策の一環という経済的側面があるとはいえ、まさか日本の10分程度の枠のニュースで伝えられるとは…。

_ スチュワート・グランプリを買収して立ち上げられたジャガー・レーシングだったけど、結果が出ないとすぐに代表の首が飛んだ。チーム経営は一貫性を持つことができず、ますます結果を出せない状況に。買収前のスチュワートは、ゼロからチームを立ち上げながらも短期間で好結果を残したというのにねぇ…。結局、フォードはF1を知らなかったのだね。F1において「フォード」の名で活躍したのは、コスワースであってフォードではなかったということか。

_ で、そのコスワースも売却されるらしい。コスワースの売却先が決まらなかったら、今コスワースエンジンを使っているミナルディとジョーダンの来シーズンのF1活動も危うくなってしまう。どうなる…。

_ ミナルディとジョーダンが何とか存続したとしても、ジャガー・レーシングの売却先が決まらなければF1のチーム数は9となり、現在の1チーム2台体制ではグリッドに並ぶ車の数は18となってしまう。コンコルド協定では最低20台の出走を規定していることから、いくつかのチームが3台目の車を走らせなくてはいかなくなるわけだ。さて、どうなる?

_ でもグリッドには20台と言わず、昔のように26台並んでほしいなぁ。


2004/09/19 (日)

Fポン

_ Fポン第7戦の舞台はマレーシア・セパン。日本のトップフォーミュラ史上初の海外遠征だったが…うわ、メインスタンドがらがら。お客さん、100人もいるのか?

_ 今回も2スプリントレースで行われたが、ファイナルスプリントはマレーシアならではのレインコンディション。そんな中、PIAA NAKAJIMAのロッテラーが独走し勝った。やはりF1を目指しているだけあって、雨のレースなどでは際だって速いね。


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